その、竹箒が石畳を掃く音は、憎らしいほど軽快に境内に響き渡り、すっかり明らんだ空へと抜けていく。杉の枝にはガラスフレークのような陽光が散りばめられている。
奈月は最後にもう一度、僕の胸に深く顔をうずめた。そうして、しばらくしてから、深くて短いため息をつき、「行きましょう」と小さく言った。
「とりあえず、ここを出ようか」と僕は、箒を手にした神官に一瞥して同調した。だが心は今にも割れて砕けんばかりだ。奈月は何も応えずに、いかにも名残惜しそうに空を見上げている。上からは蝉の声が、足下からは虫の声が聞こえる。奈月に何かを言おうとしているようだ。
黒木の鳥居をくぐり、境内の外に出た瞬間、また何かの境界を越えたような気がした。明石海峡大橋を過ぎた時とはまた違った感覚だ。境界線を越えたというよりは、ページが1枚めくられて、次の場面にさしかかったような感じだった。
寂しかった。もう前のページには2度と戻ることができないと分かりきっているからこそ、寂しさは絶望的だった。「生きることって、こんなにつらいんですか?」という奈月の言葉が心の奥から聞こえる。それは奈月の声でありながら、僕の声でもあった。
少し先を歩く奈月の背中を見ていると、この距離感自体が僕たちを象徴しているような気がしてならない。僕よりも若い奈月は、僕よりも生きることの苦悩を、しかも僕の気づかぬうちに経験していたのだ。そうして僕は、奈月が経験してきた苦悩を、自分のものとして後からなぞっている。
昨日から奈月は『宿世』という言葉を何度も口にしている。ひょっとして、僕にとって、この旅は、奈月の苦悩に気づき、そうしてそれを追いかける旅だったのではないかと思えてきた。だとすれば、それはいったい何のためだろうかとも思う。というのも、昨日から、この世に無意味な出来事などないのではないかと思い始めている。
気がつくと、奈月の背中はぐんと遠くなっている。
スポンサーサイト