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キラキラ 310

 その後で奈月は、にわかに哀しげな表情を浮かべた。タクシーの車内には、エアコンの吹き出し口から出る冷房の音が断続的に響き、車外からは、不機嫌そうなディーゼルエンジンの音が聞こえる。
「先輩も、東京で頑張ってるだろうなって、何度も思いました。このしおりを見て」
 奈月がそう続けた後、彼女の表情はさらに哀しくなった。おそらく、タクシーの運転手がいなければ泣いていだたろう。とはいえ、運転手の方も、おし黙っている。後部座席の空気を読んでいるようだ。
「奈月」と僕は呼びかけた。すると彼女は、次に出てくる僕の言葉を塞ぐかのように、口を開いてきた。
「でも、もう、このしおりはいらないです。捨てて帰ります」
 僕は奈月の横顔を見た。そこからは、たとえば軽はずみでそんなことを言ったとは決して思えない深刻さがありありと見て取れた。
「そんなことを言わなくてもいい」と僕は、できるだけ感情を抑えながらも、思いをそのまま口にした。そのうえで「そのしおりには、大切な想い出がたくさん詰まっている」と続けた。
 すると奈月は意外にも「そうです。大切な想い出なんです」とあっさり返してきた。その勢いで次の言葉が出てくるかと待っていると、一転して何も言わない。僕たちはいつのまにかちぐはぐな関係になっている。もちろん僕は、奈月に何か言ってほしかった。サーブ権は、あくまで奈月の方にある。
 その時、運転手がギアを入れ、タクシーは工事中の道を、まるで眠りから覚めた老犬のようにがたがたと進み始めた。その振動が奈月を刺激したのか、彼女はここで「長い1日でしたね」と話の矛先をそらした。
 僕はまた彼女の横顔を見た。哀しげだったその顔は、少しさっぱりしているようだった。今のわずかな間に、過去を諦めたのかもしれない。そんな横顔を見ると、僕の方が哀しくなってきた。
「普通、楽しいことって、早いはずなのに、この1日は、ほんとうに長かった」
 奈月は、笑みさえ浮かべながらそう述懐した。
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スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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