「でも」と奈月の方から口を開いた。「もう、来ない方がいいのかもしれませんね」
奈月はガラス越しに広がる、京都駅八条口の朝の空を見上げた。外にいる時よりもやわらかな光が奈月の白い顔を照らし出す。厚みのあるドアのガラスがいくぶんか光を和らげているのかもしれない。そんな彼女の横顔を、なすすべもなく眺めていると、「大事なことは、想い出としてずっと取っておいた方がいいのかもしれませんね」と奈月はつぶやいた。
僕には、「そんなことはない、これからも京都に足を運んで新しい想い出を作ればいい」とも言えなかったし「そうだな、過去の想い出を辿る旅に出ても、寂しさが募るだけだからな」とも言えなかった。本当のところは「俺と一緒にまた来よう」と堂々と言いたいのだ。だが、今その言葉を投げたところで、奈月の表情が晴れないことは、目に見えている。つまり、僕には今の奈月に対して発するべき言葉がなかった。
言葉が見つからないとなると、今度は彼女に触れたくなる。夜明け前の奈月の身体が強烈に思い出される。完全に濡れた彼女の中に入りたい。そうすれば、もう一度分かち合えるはずだ。
だがもちろん、そんなことができるわけがない。だからこそ、これまで経験したことのないくらいに胸を焦がすことになった。もしここが京都駅でなければ、すぐにでもひざまずき、奈月にすがりついたに違いない。
奈月はそんな僕の前に立ったまま、八条口の風景を眺めている。僕たちが足を止めたほんのわずかの間に、レンタカーの店先では若い男女の店員が手際よく掃除を始めた。彼らにとっては日々のルーティンをこなしているだけのことだ。目の前のタクシーの運転手たちは、相変わらず雑談をしているが、あまり楽しそうな雰囲気でもない。
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