人は必ずケンカをします。
いや、そもそも、生きとし生けるもの、ケンカをするのです。
多くの場合、ケンカには生存競争が絡んでいます。長年の間、熱帯魚を飼ってきましたが、えさを水槽に投入した瞬間、彼らのケンカは突如ヒートアップしていました。それもかなり露骨なもので、負けてしまった魚はストレスで死んでしまうことも多々あります。
そこへもってくると、人のケンカには、他の要因も絡むように思います。つまり、プライドとか意地が大きく関わってくるのです。それこそが人間ならではの哀しいところというか、宿命なのかもしれません。
いくら時代が進化しても、些細なケンカから哀しい事件に発展してしまう例が後を絶ちませんが、ほとんどの場合、近親者やクラスメイトの間で起こってしまうのもそういうことです。自分にとって無害な人間とはまずケンカをしないのです。
そう考えると、人間とはつくづく弱い存在だとため息が出ます。歴史上、強いリーダーとして名を刻んだ人物たちも、おそらくは、その強さの影に弱さを隠し持っていたに違いありません。彼らが戦いを仕掛ける時、それは、自らの中心にある弱さを他者に刺激される時ではないでしょうか?
つまり、人間のプライドとは、じつは、弱くて脆いものではないか。だからこそ、それを必死で守り抜こうとするためにケンカをし、権力者は武力を行使するのです。もしプライドが強くて揺るぎないものならば、わざわざ大きな犠牲を払ってまで戦う必要なんてないはずです。
人間とは、そんな弱くて脆いプライドを大事に守り抜くことを余儀なくされている生き物なのだと、特に今の時代、痛切に感じます。
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