今日は月曜日、おまけに天気がしゃんとしない、じめじめした月曜日でした。
昨日、国際交流イベントの研修会を主催し、私はメインの講演ともろもろの雑務を担当しました。なにせ大きな研修会だったので事前の準備にもずいぶんと時間と労力を費やしたのですが、終わってみると、ずいぶんあっけない感じだけが残っています。
芥川龍之介の短編に『芋粥』というのがあります。平安時代、さえない毎日を送っていた主人公のたっての願いは芋粥をたらふく食べること。それがある日、上官が叶えてくれることになります。主人公は上官に連れられて、京都から福井にまで行くわけですが、旅の途上で、なんだかむなしくなってきます。そうして、なみなみと注がれた芋粥を一口食べただけで食欲が失せ、芋粥に憧れていた頃の自分が懐かしくなる、そんな話です。
私は、この作品を読むときにはいつも「結果の空しさ」を思います。
どんな結果であれ、時間が経てば、すべて想い出に変わるわけです。たとえば身を切り裂くような失恋の痛手も、3年後には消えている。逆に、恋が成就したのはいいが、付き合った後で幻滅することだってある、そういう人は、片思いの頃の方がよかったという皮肉を噛みしめることになります。
失恋した、恋が実った、という結果ももちろん大切ですが、それらは「なぞなぞの答え」のようなものです。答えが分かってしまえば、味気ないものです。そう考えると、心を燃やすのは、結果にたどり着くまでのプロセスなのだと思います。
現在の私といえば、夏のイベントに向けて、準備が佳境に入り、プレッシャーとの戦いを余儀なくされていますが、それも終わってしまえば、あっけなく、静かに、想い出へと変わっていくのでしょう。
結果がいい想い出となるためにこそ、プロセスとしての「今」を大切にしたいのです。
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