今朝、カーテンを開けた瞬間に目を疑いました。家の周りが、すっぽりと雪に包まれていたのです。
ずいぶんと前から天気予報では今日の暴風雪への警戒を呼びかけていましたが、まさに予報通りの天気となり、なんだか妙な心持ちがしました。
平安時代の人々なら、これほどの雪を見るとかなり驚いたはずです。貴人に仕える人たちは、あたふたして雪かきをしたり火桶の準備をしたりしたことでしょう。
それが、現代人は違います。天気予報の「予言」が見事に命中するからです。
「1月23日の夜からこの冬一番の寒波が西日本に流れ込み、24日の朝には大雪になる」という情報はすでに1週間前から予言されていた、そしてほとんど狂うことなく現実となった。
もしこれが、自分の身に降りかかることだったらどうでしょう。「来週の火曜日に遅刻をしかけて、混雑するエレベーターを避けて階段を駆け上がっていると、足を滑らして転倒する」とか「たまたま行った本屋で立ち読みをしていると、別の課の知り合いとばったり出会い、話が盛り上がってメルアドを交換する」とか。
何かを求めて生きている人はどうしても近い将来のことが知りたくなります。今の努力に対してきちんとした結果が出るかどうか気がかりなのです。
結果を先に知っておくとロスが少ない人生を歩むことができるのかもしれませんが、それはストーリーの結末を聞いて映画を見るようなものです。
天気予報が正確であることはありがたいですが、人生の予報はあまり意味がありません。その内容を知ったところで自分の手で変えることはできない、つまり私たちは、何があっても今を精一杯生きるしかないからです。
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