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鎌倉物語 1

「お寺に行きたいね」と明子はつぶやいた。
 その時僕たちは、僕の部屋のソファに座って紅茶を飲みながら、ケーブルテレビの旅番組を見ていた。画面の中には、新緑豊かな無人駅にクリーム色に塗られたローカル線の車両が停車している。
「寺?」
「そう、お寺」
 明子はそう言い、ティーカップにそっと口を付けた。
「こういう番組見てるとね、無性に、どこかに出かけたくなるの。それも、心が癒されるようなとこにね」
「で、それが君の場合は寺というわけか」
 僕がそう言うと、明子は少し微笑んで、再びテレビの画面に目をやった。ローカル線は無人駅を出発し、青い空に誘い出されるかのように走り出している。
「ずいぶん前に横浜に住んでたことがあってね、もうかれこれ二十年近く前になるかな」
 明子は低い声でそう言い、ティーカップをサイドテーブルに置いた。コトッという乾いた音がした。
 明子が横浜に住んでいたという話は、彼女の口から聞いたことがあるが、初めて話すかのような口ぶりだ。それは意図的なのかどうかと勘ぐっている僕を尻目にかけるように、彼女はテレビの中に広がる景色に過去の自分を重ね合わせるかのごとく述懐した。
「はるか昔のことのようにも思えるし、ついこの間っていう気もする」
 僕はソファにもたれて彼女の横顔を眺めた。カーテンのすき間から漏れる夕暮れの明かりが、頬を濡らしている。
「週末になると、現実逃避するの。あの頃よく行っていたのが鎌倉。タカシくん、行ったことある?」
 明子はどこか呆然とした顔でそう言った。僕は首を横に振った。上京の折に箱根には何度か足を運んだことがあるが、その場合鎌倉を通ろうとすると遠回りになってしまう。鎌倉の渋滞は僕でも知っているくらいに有名だから、どうしても避けてしまうのだ。
「静かなところよ、鎌倉は」
 明子はそう言って再びティーカップを手に取り、フルートを吹くかのように口元に運んだ。ローカル線はいつの間にか海岸線沿いをひた走っている。
「鎌倉ってね、北と南で全然違うの」
 僕はまだ見たことのない鎌倉の街を想像した。真っ先に思い浮かぶのはやはり大仏だ。青い空を背景に堂々と鎮座しているおなじみの風景。それから江ノ島のある相模湾の情景もイメージできる。
「街の真ん中にあるのが鎌倉駅。でね、そこから南は海に向かって開けてるの。観光客も多いし、ハイカラな町並みが続いてる。それが、北に上がると、とたんに鬱蒼として、独特の静寂に包まれるの」
 明子はそう言い、テレビの上の方を見上げた。彼女の言う景色が僕にはうまく想像できない。ただ、こんなにもよく話す明子はあまり見たことがない。
「行ってみるかい?」とためしに言ってみる。
 明子は少し驚いたような顔で僕の方に顔を向けた。だがその表情は、まるで氷砂糖が水に溶けるように、しだいにゆるやかになっていった。
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Author:スリーアローズ
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