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鎌倉物語 5

 北鎌倉駅のホームに降り立つと、まずひんやりとした空気にさらされ、緑の匂いが鼻先にまとわりついてきた。青いプラスチック製のベンチと、大学や旅館などの看板が掛けてあるだけの、ありふれた田舎の駅の光景だ。何より、思っていた以上に人が少ない。僕たちの他には年配の男女が五、六人といったところだ。格好からして旅仲間だろう。ケーブルテレビのローカル線の旅番組を見て、明子がこの駅をイメージした理由が分かるような気がした。
 ホームを降りてすぐに踏切を渡り、改札に向かって歩いていると、駅舎とは反対方向に大きな石柱が見えた。そこには堂々とした文字で「臨済宗大本山円覚寺」と彫ってある。どうやらここが円覚寺の入口になっているらしい。奥は石段が続いているようだが、周りの木々が深いためにその先は見えない。
「円覚寺ってこんな駅のそばにあるんだな」
 僕がそう言うと、明子は「夏目漱石もここに籠もって人生について思索したのよ」と返し、森の奥に続く道を見た。たしかにどこか風格のある森のようでもある。
 それから僕たちは駅舎に向かい、二つしかない改札を抜け、とりあえずコインロッカーに荷物を預けた。
「これからだいぶ歩くことになるけど、大丈夫?」
 ロッカーを閉めた後、彼女は言った。僕は鍵を財布にしまいながら、もちろん大丈夫だと返した。そのつもりでスニーカーを履いてきたのだ。
 駅から一歩外に出ると、初秋のやわらかな日差しが僕たちを包み込んだ。明子は深くかぶっていた帽子のつばを少しだけ上げて、乾いた空に向けて気持ちよさそうな視線を送った。
 僕は北鎌倉駅の駅舎を外から見上げた。木造瓦葺きの小さな駅舎は、幼い頃に住んでいた借家を彷彿とさせる佇まいだ。鎌倉といえば日本を代表する観光地のはずなのに、その名に不相応な駅舎だ。
 僕がそんなことを考えていると、明子は一人で歩き始めていた。彼女は彼女で、僕とは違う思索の中に沈み込んでいる。それが彼女の愛した夫のことだということはよく分かっている。過去形ではない。彼女は今もなお、夫のことを愛し続けている。
 僕は彼女を驚かさないように、そっと後を追いかける。 すると明子はぴたりと足を止めて、「やっぱり円覚寺からお参りするべきかな」と言った。
「君に任せるよ。なにしろ僕は初めての鎌倉なんだから」
 一週間前に書店でガイドブックを買い、ざっと概要はつかんでいたが、やはり実際に足を踏み入れると想像とはだいぶ違う。観光客でにぎわい、多くの店が並ぶ、京都や箱根のような街を思い浮かべていた。
「私に任せると、行き当たりばったりの旅になるけど」
「そういう旅の方が、いい想い出になるもんだよ」
 自分でそう言っておきながら「想い出」という言葉が耳の奥に残った。始まりは終わりをも意味する。この旅もやがては想い出に変わる・・・
 明子はさっき見た円覚寺の石柱の前に僕を導いた。もうすぐ色づきはじめるであろう紅葉の大木の影が奥に続く石段に染みこんでいる。
 すべては想い出に変わる。一歩ずつ登る石段は、次の瞬間には過去のものとなる。今という瞬間はもう二度とは戻らない。そんな当たり前の事実が、なぜかしみじみと実感された。
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Author:スリーアローズ
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