スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉物語 9

 明子が僕の職場である社会保険事務所を訪ねてきたのは三年前のことだ。多くの年金データが消失したという問題が持ち上がり、お金の管理についてはふだんあまり神経質になることのない明子も社会保険庁からの度重なる連絡を受けて、しかたなく事務所に足を運ぶことになったというわけだ。
 初めて明子を見た時、僕はそれまで体験したことのない衝撃を受けた。
 まず彼女はどきっとするほど美しかった。しかし美しい女性なら他にもいる。明子はさらに別のところで僕の心をとらえる何かをひきずっていた。
 彼女がふっと笑う。僕にはそれがうれしいのか哀しいのか、まるでつかめない。窓口で対応する僕の顔を彼女は見る。しかし僕を見ているのか、それとも僕と彼女の間にあるわずかな空間を見ているのか、分からない。事実僕は何度か彼女に説明が伝わっているのかを確認しなければならなかった。それでも彼女は分かったような分からないような反応しかしなかった。
 それに、彼女の年金記録には、家族がないにもかかわらずこれまで定職に就いた形跡も残っていなかった。いったい、どうやって生活をしているのだろうと首をかしげた。
「私だって初めてあなたを見た時、何かへんな気持ちになったわ」
 僕たちが会うようになったある夜、明子の方もそんなことを言ってきた。
「つまり俺たちは運命で結ばれていたのかな」
 その時は少し酔っぱらっていて、ずいぶん子供じみたことを言ったものだと恥ずかしくもなるが、それについて明子は、すぐには反応しなかった。
「私って、本を読むのが好きだから、言葉を信じて生きていたところがあるのよ。でもやっぱり実際の人間同士のつきあいって、言葉では表現しきれないところがあるのね。あなたとはそんなふうにしてつながっていられるように思えるの」
 少し考えた後で明子はそう言った。運命などという言葉は使わない、いかにも彼女らしい文脈だった。
 
 妙香池を過ぎた後、僕たちはさらに伽藍の奥へと進んだ。緑の匂いは鼻のすぐそばにまで迫り、線香の香りも濃くなっている。太陽もずいぶんと高いところに上っている。
 すると「円覚寺舎利殿」の看板が左手に見えた。
「このお寺の中でも一番有名な塔頭じゃないかしら」
「塔頭?」
「お墓の周りに作られた建物のことよ。この舎利殿はたしか」と明子は言い、説明板に目をやった。
「うん、やっぱりここは無学祖元のお墓ね。北条時宗の依頼でこのお寺を開いた僧侶よ。舎利っていうのは、釈迦の骨っていうことなんだけど、どうやら舎利を南宋から持って来させたのは源実朝のようね。鎌倉幕府の三代将軍。若くして暗殺された悲劇の将軍」
「実朝?」
 思わず口走ると、明子は僕の方を見た。
 舎利殿は公開されておらず、柵の奥に茂る緑の間に、ひっそりとした姿をわずかに見せているだけだ。それでも、じっと眺めているうちに、実朝に近づいているような気がしてきた。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。