スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉物語 11

 境内を一周して再び山門に戻った時には、太陽は中空に近いところにあった。
 明子は、最後に夏目漱石が籠っていたという帰源院という小さな塔頭に僕を連れて行った。漱石はここで死の恐怖と戦い、その体験をもとに描かれたのが「門」という小説なのよと説明した。一見民家のようでもある塔頭の入口は堅く閉ざされていて沈黙が漂っていたが、かの文豪がこの場所で修行をしたことを想像すると、歴史の世界とは思うほど大きくないような気もしてきた。
 帰源院を下りたところに「国宝 梵鐘」という看板が掛けられていて、この上には有名な鐘があるけど行ってみるかと明子は訊いてきた。君は行ったことがあるのかと問い返すと彼女はあると答えたので、それなら行かなくてもいいということになった。
 正直なところ歩き疲れもあるし、何より腹が減っている。もうとっくに昼を過ぎているではないか。
 それで僕たちは円覚寺に別れを告げることにした。山門を抜ける直前、明子はもう一度振り返って伽藍を見た。この景色を瞳に焼き付けておこうとしているようでもあった。
 石段を下りながら、次にここに来ることがあるとすればそれはいつだろうかと考えた。そしてその時には明子も一緒にいてくれるだろうかとも思った。
 僕の願いは彼女と一緒に暮らすことだ。結婚までは求めない。とにかく彼女を隣に生活したい。彼女の作った食事をとり、一緒に眠る。それができれば、どんなに幸せだろうといつも思う。
 その時、上の方で鐘が二つ鳴った。同時に円覚寺が遠ざかってゆくのを感じた。

 木立に覆われた石段を降りると、再び北鎌倉駅が見えた。その瞬間、目の前の風景がぐらついた。非現実から現実の世界に戻ってきたのか、それとも現実から非現実の世界に戻ってきたのか、分からなくなる。
 それは、夕方、明子が僕の部屋から出て行った後に残るあの感覚と同じだ。

 僕たちはこれまでに二度ほど旅行に行ったことがある。一度目は長崎、二度目は仙台。その他に明子は僕と一緒に夜を明かしたことがない。
 明子は週に二、三度は必ず僕の部屋に来てくれる。他愛のない話をし、テレビを見たり、休日には読書をしたり、音楽を聴いたり、そしてセックスをしたりする。僕たちはそれなりに濃密な時間を共有する。
 だが、どんなに楽しいひとときを過ごしても、明子は決まって自分のマンションに帰っていく。
 今なお家族も仕事ももたない彼女は、その気になれば僕の部屋に住むことだってできるはずだし、事実僕はそれを望んでいる。
 しかし強要は逆効果だ。海底に潜む二枚貝が開くには絶対的な安心感が必要なのだ。それゆえ僕はその時が来るまで彼女を急かさぬようにじっと待っている。
 僕にとっては、彼女と過ごす時間はいとおしく、現時点におけるすべてだと言っていい。だからこそ彼女が去っていった後の部屋には複雑な余韻が残る。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。