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鎌倉物語 12

 僕と明子は北鎌倉駅の自動販売機でアイスコーヒーを買い、ベンチに座って飲んだ。
「だいぶ歩いたね」と明子は小さなハンドタオルを首筋にあてがいながら言った。
「まるで別世界だったな」と僕は応え、コーヒーを喉に流し込んだ。心と体がリセットされるようだった。
 円覚寺と駅の間には道路が走っていて、そこには「鎌倉街道」という標示が立っている。僕たちは空き缶をゴミ箱に入れ、街道に沿って作られた歩道をこれといった目的もなく東に向かって歩き始めた。すると、ほんの少し進んだところにさっそく「東慶寺入口」と書かれた看板が見えた。
「この辺りは、まるで寺の博物館みたいだな」
 僕が言うと、明子は「これが北鎌倉よね」と呼応するように返した。
 東慶寺を過ぎたあたりからいろいろな店が並ぶようになる。アンティークな店が多いようだ。
「お腹空いたでしょ?」
「ぺこぺこだよ」
「どんなものが食べたい?」
 これといって思い浮かばない。軽食ではなくしっかりしたものが食べたいと返すと、明子は少し考えた後で、「じゃあ、適当に歩いてみて、気に入ったお店があればそこに入りましょう」と結論づけた。
 明子は何かをする時に周到な計画を立てるというタイプではない。だから彼女と一緒にいると、新鮮な発想に触れることがよくある。
 街道沿いにはいくつかのレストランが見えるが、もう少し歩けばさらにいい店に出会えるだろうという期待が沸いてきて、結局僕たちはだらだらと歩くことになった。
「鎌倉時代の御家人の気分だね」
 明子は微笑を浮かべながら言った。
 この鎌倉街道は、鎌倉幕府の時代に将軍と御家人の間に結ばれた、いわゆる「御恩と奉公」の道なのだと明子は説明した。
 鎌倉で有事が起こると御家人たちは「いざ鎌倉」と口を揃えてこの道を急いだ。ただ、当時の道は放射状に張り巡らされていたらしく、今僕たちが歩いているのは現存する数少ない道の一つなのだと明子は教えてくれた。
 歴史において、道はとても重要な意味をもつ。情報が今のような形をとらない時代においては、それは人間同士がつながるための重要なツールだった。特に中世には、どこに要塞を築き、そこからどうやって道を張り巡らせるかということは、幕府の戦略的ビジョンそのものだった。日本だけではなく、中国の秦や漢の時代から作られた軍事用の道路や、ローマのアッピア街道などもそうだ。
 道と並んで重要なのが橋である。幕府の要塞を置くための地理的条件は川や海に囲まれているということであり、その時、領地の「端」に作られたのが「橋」だった。
「つまり、橋って、歓迎すべき人物と排斥すべき人物の取捨選択の場だったのね」
 明子は静かに言った。その時代、彼女は橋の建設計画に携わっていたのではないかと思わせる語りぶりで。
 ただ、明子の心に架けられた橋は、容易に他人を歓迎したりはしない。いや、その橋を渡ることが許される人間など誰もいない。もしいるとすれば、彼女が今なお愛し続けている夫だけだ。
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Author:スリーアローズ
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