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鎌倉物語 14

 美咲は週の半分ほどジャズハウスで演奏していた。ソロの時もあったし、トリオの一員の時もあった。オスカー・ピーターソンやデューク・ピアゾンの曲をよく弾いていたが、僕が特に好きだったのは、キャロル・キングのカバーだった。美咲の弾く『君の友達』は、今でも心の奥に古いシミのように残っている。
 ふだんの美咲はどこか天真爛漫さが残るバイタリティあふれる女性だったが、いざピアノの前に座るとたちまち大人びたふうになり、その腕の運びはどこかエロティックにさえ映った。
 いつしか僕は受験勉強を忘れて彼女の演奏を聴くために店に足を運び、ウイスキーを飲みながら『君の友達』を口ずさむようになっていた。
「ヤマシタ君が私のピアノを聴きに来てくれるのは、ほんとに嬉しいんだ」
 ある時美咲は、実感のこもった声でそう言った。美咲に自分の存在を認めてもらうことによって、僕は自尊心を取り戻すことができた。
 そのうち美咲の評判は高まり、遠くからわざわざ彼女の演奏を聴きに来る客も増えてきた。僕は後方の高い所に設けられたイスに座るようになり、美咲との間には多くの観客を挟むようになった。
 そうやって彼女を眺める時間は幸福感に満たされた。美咲のピアノに聴き浸っていると、司法試験の競争の中に身を投じることが面倒臭く感じられるようになっていた。
 何も法曹界で活躍するということだけが人生ではない、人生における幸福とは社会的評価を得ることよりも、己の内面に根ざす絶対的な価値を追求ことではないか、美咲の奏でるメロディはそんなメッセージを僕に発してきた。

 そういえば、その年の盆休みに、久々に山口の実家に帰省することがあって、その時たまたま中原中也記念館に立ち寄った。
ようは一つの暇つぶしとしてただ足を運んでみたまでのことだったが、僕はこの詩人の生き様をはじめて知り、そして共鳴することになった。
 エントランスを抜けて、常設展示室に入るとすぐに中也の人生がパネルで紹介されていた。軍医だった父に勘当され、京都の中学に転校し、下宿生活を送る中で退廃的な作風の詩に傾倒してゆくその顔は、孤独に歪んでいた。
 その頃、長谷川泰子という女優志望の女性と出会う。パネルの中の泰子は当時風の都会の女、とでもいうべき澄ました表情で僕を見つめてきた。
 泰子は中也の詩を褒めた。中也にとっては初めての悦びだったろう、二人は同棲を始める。
 展示室に立たったまま、僕は美咲のことを強く思った。表現者にとって、自分の作品を褒められることほど幸せなことはないのだろうと。不安はたちまち希望に変わり、諦めかけた夢の後ろ姿を再び見させてくれる。
 もちろん、僕の中にも中也はいた。美咲に感謝されることで自らの存在意義を確かめることができたのだから。
 そんなことを考えながら、その先に続く展示室に足を踏み入れた。室内は、一段と深い紫の照明で薄暗くなっていた。
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Author:スリーアローズ
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