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鎌倉物語 16

 美咲がジャズハウス専属のプレイヤーになって二年経った時、彼女はアメリカに出たいと言いはじめた。
「ママさんにはほんとに悪いとは思うんだけどね、今のうちに、もっと広い世界でチャレンジしたいんだ」
 美咲は僕の部屋でそう説明した。
 彼女の言い分はよく理解できた。演奏のレベルはすでに一定のレベルを越えていたし、特定のファンや音楽関係者も出入りするようになっていた。今の美咲なら夢を叶えるチャンスが待っているかもしれないと心から思えた。
 ただ、彼女が去った後の不安もあった。すでに司法試験を諦めていた僕は、美咲のいない生活というものがどうしてもイメージできなかった。
「いろいろと調べてみてね、ハワイに日系の専門学校があるのを知ったんだ。そこで一年間英語を勉強してテストを受けるの。で、成績に応じて自分の行きたい大学を選ぶことができるシステムになってて、その中にバークリー音楽大学があるのよ」
「バークリー?」
「名門中の名門だよ。ジャズ科があるの。大西順子とか上原ひろみもそこを出てる」
 美咲の瞳からは熱気が放射されていた。彼女を止めることなど、もはや不可能だった。
「いつかはニューヨークでデビューしたいんだ。ヴィレッジ・ヴァンガードのステージに立ってみたいの。ビル・エヴァンスと同じステージにね」 

 その年の秋に、美咲はアメリカに向けて飛び立つことになった。初めて話を持ち出してから、わずか三ヶ月後のことだった。
 表立ったラストライブは行わなかった。これが最後の演奏だということを知っていたのは、僕とママだけだった。
 僕は座り慣れた後方の席でウイスキーを飲みながら他の客に紛れて美咲のピアノを漠然と聴いた。リクエストしておいたキャロル・キングの『君の友達』も弾いてくれた。
 現実味はまるでなかったが、それでも心がチクチクと痛んだ。これまで聴いてきたどの演奏よりも甘美で、ほろ苦かった。
 店を閉めた後、三人でお別れ会を開いた。ビールとウイスキーとフライドポテト、それにサラダだけの簡素な会だった。これじゃあまりにもわびしいと、ママは店を出て近所のステーキハウスに行き、肉を焼いてもらってきた。それから冷蔵庫に一本だけ残っていたワインで乾杯し直した。
 ママは最後まで陽気だった。この店から世界に羽ばたくアーティストが出るのは光栄だというようなことを始終口にしていた。美咲は不自然なまでに饒舌なママに気を遣っているようにも見えたが、やはり希望を身にまとっていた。
 その夜僕はほとんど喋らなかった。話すべき内容が見当たらなかったのだ。それと引き換えに、珍しく酒に飲まれた。どうやってアパートに帰ったのかさえ覚えていなかった。

 旅立ちの一週間前になって、美咲は突然、京都を見ておきたいと言ってきた。
「じつは私、まだ行ったことないんだ。それがどうしても心残りでね」
 髪をばっさりと切った彼女は、さらに若くなったように見えた。
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スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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