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鎌倉物語 30

「でも彼らは静けさの中にいるわけだから、多くを語らない。だから目立たない」
 山本氏は握りこぶしを口元にあてがって、小さく二、三度咳払いした。それからこう言った。
「東条英機、ご存じですよね?」
「東条英機って、あの?」
「そう。あの東条英機です。太平洋戦争後にA級戦犯として死刑判決を受けた軍人だ。彼は巣鴨の拘置所に入れられて、徹底的な自己批判・自己否定の末に地獄の底まで堕ちました。我々にはとうてい及びもつかないほどの地獄だったでしょう。そして、その極限の果てに見えたのが仏の光だったのです。ちょうどその頃、彼は浄土真宗に出会っています。悪人正機ってやつですね。つまり彼は獄中で抜けたのです」
 山本氏はそう言って軽く腕を組んだ。
「その証拠に東条は死刑執行の数分前に車の中で熟睡した、それに、勇んで処刑台に上がった。抜けた後の彼にはもはや処刑すら怖くはなかった」
 もちろん僕は山本氏の話を信じ込むことはしなかった。えてしてこの手の話には個人的解釈が含まれるものだ。
 ただ問題は、山本氏の語り口には説得力があるということだ。源実朝と中原中也は最後まで人間的であった、だからこそ死んだ後に異様な印象が残った。それに対して、東条の死には静けさが漂う。
「少し話しすぎましたかね」
 山本氏は自らに言い聞かせるようにつぶやき、その後で細く長い息を吐いた。
 彼の目元に込められていた力がしだいに緩まってゆく。
「特にあなたは静かな女性だ」
山本氏は突然そう言い、視線を明子に向けた。明子は背中をびくりとさせた。
 山本氏の話をまともに受け止めちゃだめだよ、と僕は言いたかった。君はその手の話を信じ込みすぎるきらいがあるからね。彼はただ僕たちに持論を展開したいだけだ。そして願わくば僕たちを自分の世界に引き込もうとしている。そんな人間はよくいるよ。

「今日はおかげでいい写真が撮れました」
 彼は髭で覆われた口元をほころばせながら明子の方を見て「悪用はしませんからね」と冗談っぽく念を押した。
「もし写真集が出来上がれば、どこかで手に取ってくださると幸いです」
 そう言ったかと思うと山本氏はさっと右手を挙げ、僕たちに別れを告げた。それからくるりと背中を向け、裏山のさらに深いところに続く小径に消えていった。
 明子は山本氏の背中に向かって何かを言おうとしたが、結局どんな言葉も出なかった。彼があまりに素っ気なく去ったものだからタイミングを逸したのだ。僕はそれでよかったと思った。彼女がますます混乱するのを見たくはない。

 ふとポケットに名刺が入っているのを思い出す。「山本耕二」としか記されていない、今思えばいかにもあの人らしい名刺だ。
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スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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