スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉物語 31

「写真集、ほんとに出来上がるかな」
 明子は僕が手にした名刺を見ながら言った。彼女が口にした久々の言葉だった。
「でもね、いつかその写真集を見るんじゃないかっていう予感もするのよ」
 明子はそう続けた。
 山本氏が消滅した後、寿福寺の裏山には再び静寂が訪れた。モミジを揺らす風もそろそろ冷たくなってきている。  
 最後にもう一度実朝の墓所を顧みる。薄暗いやぐらに置いてあった線香の煙はもう見えない。残り香だけが行き場もなく宙に漂っている。
 その時唐突に、ある考えが浮かび上がる。この香りは僕の脳裏に染みついた記憶なのではないか?
 線香の火はもう完全に消えてしまっているのだ。

 やがて香りは、心に混乱をもたらす。実朝と中也の人生が僕の人生に溶け込んできて、そのうち境界すら分からなくなってくる。
 隣には明子がいる。明子? ほんとうに明子なのか?
 ここは京都で隣にいるのは可南子ではないのか? 可南子? あの時僕が愛していたのは可南子ではなく美咲ではなかったのか? 僕は可南子を裏切ったのだ。だのになぜ彼女と歩いているのだ? 

 ふと実朝のやぐらの中を見る。そこには暗闇の中に女性が膝を抱えて座り込んでいる。
 女性は裸だ。そんな冷たいところで何をしているのかと恐る恐る尋ねてみるが何の反応もない。死んでいるわけではない。肌は水仙の花のように透き通っていて生気に満ちている。
「生きながら死んでいるんだよ」
 隣で男の声がする。紺色のハンチングをかぶり髭を生やした男だ。
「彼女には過去もなければ未来もない。哀しみも不安もない。ただそこにいるだけだ。そして彼女は自由だ」
 男はおもむろにカメラを取り出し写真を撮り始める。
「こうやって記録しておかないと不安なんだよ。俺はまだ自分自身を抜けることができないからな。俺は常に恐怖を抱えて生きている。甥に首を取られるかもしれないし、人生に疲れ果てて精神衰弱で狂い死ぬかもしれない。ホラホラ、これが僕の骨だ」
 男は不安をかき消すかのようにシャッターを押す。
 すると声が聞こえる。かすかな声だ。最初それは線香の香りかと思った。しかしそれは紛れもなく声だった。
「ここには無条件の平安があるの。何物にもとらわれない、安らかな世界が」
 女の声だった。
「ここは長いこと探し求めていた場所。やっぱり今日、ここへ来るべくして来たんだわ」
 その声は澄みわたっている。空の彼方から響いてくるようでもある。
「静かだ」
 髭を生やした男は興奮気味にシャッターを切り続ける。何が何だかまるでわからず、とにかくやぐらに近付くと、いつの間にやら彼女の姿は消えている。
 線香の香りだけが、つんと鼻に付く。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。