スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉物語 57

 頭上には曇り空が覆い被さっている。やや湿気を含んだ風が、僕と明子の間を通り抜けてゆく。
 明子がやっとのことで立ち上がったのはしばらくしてからのことだった。
「とりあえず、行こう」
 僕は明子の腰に手を遣った。
 この段になって、ひょっとして喋りすぎてしまったのではなかろうかという思いがよぎる。しかしいったん外へ出てしまった言葉は取り返しがつかない。今は過ぎたことを検証する時間ではない。とにかく前に進むしかない。
 僕たちは全くの無言で歩く。前方には大鳥居がそびえ立っている。遠くで歩行者用の信号が青になったことを告げる電子音が聞こえる。

通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神様の 細道じゃ・・・

 砂利を踏みしめながら、ふっと支配人のことを思い出す。
 そういえば、朝食の予約時間をわざわざ繰り下げて7時30分にしてもらったのだ。携帯電話を取り出して確認すると、あとちょっとで7時になろうとしている。ギリギリの時間だ。とはいえ明子を急かすわけにもいくまい。
 
 大鳥居の下に戻ってきた時、数羽の鳩が地面を突っついていた。その向こうには、小さなタクシー会社が目に入った。

 タクシーの後部座席に乗り込んだ瞬間、若宮大路に立つ無数の信号機がずらりと並んでいるのが一望できた。
 ふと明子に目を遣る。彼女は焦点の定まらない目で虚空をとらえている。彼女にしか見えない世界の中に再び迷い込んでいる。
 
 鎌倉駅を過ぎた時、7:29になった。タイムリミットまであと1分。つまり、時間内の到着は絶望的だ。
 支配人はどんな顔をしているだろうかと想像する。眉間にしわを寄せて貧乏揺すりでもしているかもしれない。
 
 やがて湘南海岸に突き当たり、右折する。
 朝の海岸通りは快調に流れ、思ったよりも早くホテル「NAGISA」の文字が見えた。その看板は所々錆びているが、木造の建物の方はきれいな水色に塗装されていて、むしろ誇らしげな佇まいだ。車内の時計に目を遣ると7:41になっている。
 タクシーが停車し、明子はまだ降りようか降りまいか戸惑っているようだが、僕は半ば強引に彼女の腕を引いた。

 ホテルのロビーに入った瞬間、古い絨毯の埃臭さに包まれた。数年ぶりに戻ってきたような感覚だ。レストランにはパンの焼ける匂いとコーヒーの香りが漂っている。
 フロントには支配人が立っている。白のコットンシャツにブラックジーンズといういでたちだ。さっき腰に巻いていたエプロンと星条旗の三角巾は外している。
「すみません、遅くなりました」
 僕がそう言うと、支配人は何も言わずにこっちを見た。僕の予想したとおり眉間にかすかなしわを寄せ、ちらりと腕時計に目を遣った。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。