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鎌倉物語 60

 僕がそう言うと、明子は携帯電話を取り出して画面を見せた。
 そこにはこう書かれてある。

 山本耕二は信仰の世界を求めた写真家だった。五十代になってから初めて写真と出会い、きわめて禁欲的なまなざしでシャッターを押し続けた。
 代表作はやはり『静かな散歩道』であろう。この写真集は、比叡山延暦寺を拠点とした京都の密教寺院が舞台となっている。
 氏が被写体として選んだのは洛中にある寺院ではなく、原理的な山岳信仰に基づいて建立された山深き仏刹ばかりである。氏は三年間にわたり京都の四季に佇む古刹と、そこに参詣する人々の姿を写し続け、現在における信仰の姿を表現し続けたのである。なおこの作品は『第二一回よみうり写真大賞』の特別賞を受賞している。
 その後は、京都を離れ日本各地に活動を移し、最後は鎌倉の禅刹を撮り続けた。『静かな散歩道』の続編が期待されたが、道半ばにして病に倒れた。早すぎる、無念の最期であった。
「これは誰が書いたんだい?」
「尾田健一郎っていう人。日本写真家協会の理事で、山本さんと親交があったみたい」
「その人は実在してるの?」
「ネット上には何度も出てくる人よ」
「信じられない」

 僕と明子は揃って窓の外を見た。積極的に海が見たいというわけではない。他に目を遣るものがなかったのだ。

 しばらくして明子が口を開いた。
「あの写真、どうなったんだろう?」
 僕は横目で彼女の顔を見た。
「昨日、山本さんに撮ってもらった写真」
「あの人が本当に五年前に死んでるんだったら、昨日は五年以上も前のことになる」と僕は言う。
「その頃、私は夫を亡くして、どこへ行こうか迷っていた時期だった」
 僕はというと、とりあえず社会保険事務所に就職したものの、何の目的も持たずに惰性で生活していた頃だ。
 とはいえ、今なお、人生の目的は定まっていないが。
「もし・・・もしよ、昨日が本当に五年以上も前の出来事だったら、あの写真は現像されて、どこかに存在していると思うの。それが気になって、昨日からネットで調べるんだけど、どうしても見つからないのよ」
「もし見つけたら、いったいどうなっちゃうんだろう。俺たちはタイムスリップをしていたことになるんだろうか?」
 僕はふと今が五年以上前じゃないかと電話の画面で確かめた。だが、今は、ちゃんと今だ。
「私があと十歳若かったなら、その写真を探すと思う。でも、もう今はできない、そんな体力残っていない」
 そう言って明子は再び携帯電話に視線を落とし、次の画面を見せた。そこには一枚の画像が表示してある。
「『静かな散歩道』という写真集の中でも評価が高い写真。『叡山《えいざん》の朝』っていうタイトルがついてる」
 それは朝靄の山道を老夫婦が手を携えながら登っている光景をとらえた写真だ。
京都近郊とは思えないような原野の中、靄に包まれた古木が屹立《きつりつ》し、いかにも幻想的な世界が広がっている。
 最初僕は、風景の上に夫婦の写真が合成されているのかとさえ思った。女性が着ている紫のジャンバーがあまりに鮮やかだからだ。だが、しばらく眺めていると、二人は今から自然の中に溶けていくかのようにも見えてくる。静と動が交互に現れる、不思議な作品だ。 
 画面を下にスクロールすると、「雪の横川中堂《よかわちゅうどう》」という写真が続いている。清水寺のように幾重にも組まれた舞台の上に鶴岡八幡宮の本殿を思わせる朱色の楼閣が建ち、小さくにじんだ雪が全体に舞っている。人物は写ってはいないが、寂寞とした風景の中、横川中堂の朱色がいかにも鮮やかなコントラストを見せている。そうして、その人間が創り出した色は、この写真でも、今から自然の中に溶けてゆくかのような印象をもたらす。

「これらの写真は七年前に撮られたことになっている。そして、山本さんは、五年前に、鎌倉のお寺を撮っている最中に亡くなってる。だとすれば、昨日寿福寺で出会ったのは、亡くなる直前だったのかもしれない」
 明子は画面を覗き込みながら言った。
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Author:スリーアローズ
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