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鎌倉物語 61

「山本さんの写真を見てるとね、やっぱりこの人は実在してたんだっていう気がするし、五年前に亡くなったのも嘘じゃないように思えるの」
 だったら、昨日の経験は、いったい何だったというのだろう?
「昨日から、山本さんのことずっと考えてるの。ひょっとして、この世に未練を残して、今もどこかを彷徨ってるんじゃないかって。そう考えるとね、胸が詰まるのよ」
 明子の瞳には再び重い影が落ち込む。僕は自分の発すべき言葉を探してみるが、見つからない。
 そもそも、山本氏が亡くなっているということをどうしても呑み込むことができない。

「この海をいったいどれくらいの人が眺めたんだろうね」
 明子は長いため息をついた。
「主人もこの海が好きだった」
 僕は短いため息をついた。
「大学生になって自由を手にした瞬間、二人でいろんな所に行ったの。海水浴もしたし、花火大会も見た。サザンオールスターズのコンサートにも行ったし、江ノ島の近くで魚釣りもした。後で知ったことだけど、私たちが釣りをしたのは太宰治が銀座のホステスと自殺未遂を計った場所だったらしく、二人でぞっとしたわ」
 明子は、一瞬、瞳をセピア色に輝かせた。

 今はただ、彼女の言葉を受け入れるしかない。カタルシスによって、少しでも何かが解決することを祈って。僕にとってそれは決して苦痛でもない。これまでずっと採り続けてきたスタンスだからだ。

「主人は日常のすべてを科学に結びつけることで世界を認識する人だった。生きることとは死なないことだと捉えてて、だから医学の進歩に期待していた。でも、科学の限界も知っていたのよ。そこが彼のすごいとこでね、そのことが、さらなるチャレンジ精神に火を点けたの。鎌倉に来て海を眺めるってことは、研究で疲れた頭をリセットして、人間らしさを取り戻すための大切な儀式だったのよ。彼にとっては」
 明子はそう言い、視線を僕に向けた。
「私たちが結婚式を挙げたのはどこだかわかる?」
 もちろんそんなこと分からないが、それでも何かを答えようとしている僕を気にするふうもなく、彼女は先に答えを言った。
「鶴岡八幡宮なの。ほら、さっき私が立っていた小さな神社の隣に吹き抜けの建物があったでしょ、あそこよ」
 よく覚えている。僕が何度も通り過ぎた朱塗りの建物だ。
「あそこは舞殿《まいどの》って言ってね、神前結婚式ができるようになっているの。私たちの式は、ごく簡単だったけどね。父はそんなちゃちな式には出ないと言い張って参加しなかったから、私の親族といえば横浜にいた伯母さんと従兄弟《いとこ》だけだった」
 昨日タクシーの中で突然泣きだしたのは、そんなことがあったのかと今になって納得した。
「静御前《しずかごぜん》って知ってる?」
 明子は突然話を変えた。名前だけならどこかで聞いたことがあるが、それでも僕は、知らないな、と答えておく。
「源義経の奥さんよ。元々は遊女で、正妻じゃなかったんだけど、魅力的な女性だったんだろうね」
 話題が切り替わるとともに、明子は久々に穏やかな表情を浮かべた。
「ほら、光源氏が、『源氏物語』のヒロインの紫の上と出会ったのが京都の鞍馬寺じゃないかっていう説があるっていう話を昨日したでしょ。じつはその鞍馬寺って義経が幼い頃に預けられてたお寺でもあるのよ」
「たしか京都と鎌倉がつながっていたっていう話だったな」
 僕が言うと、明子は呼応するかのように続けた。
「虚構の物語と現実の世界もね」
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