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鎌倉物語 64

 奥の詰所からは奥さんが出てきて、ぶっきらぼうな主人とは対照的な、タンポポの花を思わせる笑顔を僕たちに向けてきた。
「また、お待ちしておりますね」
 奥さんはどちらかというと明子の方を向いてそう言った。
 支配人は少しばかり背中を丸めて僕が支払ったお金を数えている。
 この際、気になっていることを尋ねてみる。
「今日は、我々の他にお客さんはいないんですか?」
 すると支配人は視線を落としたまま、「ええ、その通りでございます」と答えた。
「休日には、常連さんがちらほらお見えになるんですけどね。平日に来られる方はすっかり減ってしまいました。特に今の時期は」
 隣で奥さんが代弁した。話の内容とは裏腹に、表情はにこやかだった。
 すると、明子が小さな声を上げた。
「すてきなホテルでした」
 奥さんは心底嬉しそうな表情を浮かべて「ありがとうございます」と応えた。
 僕は、さっき明子と語り合ったレストランに目を遣る。
 羽を広げたカモメが二羽、窓のすぐ外を漂っている。カモメたちは議論でもするかのように何度か近づき合った後、やがてグレイな風景の中に溶けていった。
 明子もその風景に向けて目を細めている。

 支配人がタクシーの到着を告げると、僕たちは揃って表へ出た。外は思っていたよりも風が冷たく、磯の香りが鼻先にまとわりついてくる。
 改めて支配人に礼を言うと、彼は相変わらず堅苦しい表情で「恐縮です」とだけ返した。
 後部座席に乗り込んでドアを閉め、夫妻に向かって改めて頭を下げた時、支配人の表情は氷が溶けるかのごとくじわじわと緩んでいった。
 タクシーが動き出すと、それは「笑顔」と言ってもいい表情になっていた。僕はその中に少年の顔を見た気がした。
 明子は振り向いて、手を上げ続けている支配人と奥さんに応えている。二人の姿が完全に見えなくなった後、再び前を向き、「本当にいいホテルだった」と吐き出した。
 彼女の頬にはまた涙が伝っている。これまで涙なんて見せたことのない明子が、鎌倉に来て三度も泣いたことになる。

 鎌倉駅でタクシーを降りた時、思ったよりも人がまばらに感じられた。
 サラリーマンというよりは一般客の姿が目立つようだ。駅舎に掲げられた時計はもう少しで十時になろうとしている。
 ロータリーを見渡すと、マクドナルドの看板がまず目に飛び込む。僕にとって、世界で一番思い出深いマクドナルドだ。
 明子も風景全体を眺めている。その表情には、雨上がりの風情が感じられる。
「提案があるんだけど」と僕は言う。明子は僕の方を向く。
「せっかくだから、大仏を見ときたいんだ」
 彼女は僕の顔を見て何かを考えているようだったが、まもなくして、口元をほころばせて「いいよ」と言った。
「で、どうやって行けばいいんだろう?」
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Author:スリーアローズ
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