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鎌倉物語 69

 この長谷寺は山を切り開いた場所に建てられているために、主要な伽藍は山門よりも高いところに並んでいるようだ。
「なつかしいなあ」
 明子は澄んだ声を上げた。
「ここのお寺はね、梅雨の時期になると紫陽花でいっぱいになるのよ」
 山門を抜けたところには美しい池が仲良く二つ並んでいて、彼女の言うとおり紫陽花の株が通路いっぱいに広がっている。
 僕はサエキ氏と明子が寄り添いながら満開の紫陽花の中を歩く姿を、恐る恐る思い浮かべる。
「そんなに深刻になるなよ」
 乾いた声が高台から聞こえる。サエキ氏は由比ヶ浜に面して作られた見晴台に立っている。
「あれこれ考えたって仕方ないんだ。人はどうせ皆死ぬ」
 サエキ氏は茶色がかった前髪をかき上げる。肩には白いセーターを引っかけている。
「たとえば千年っていう時間軸で考えてみなよ。そうすれば今現在の立ち位置というものが見えてくるから。人生はつかの間の灯さ。永遠に続く時間の中で、人は極めて限られた瞬間を生かされている。ここに大きな矛盾がある」
 彼は初めて僕の方を見る。その瞳は何かを諦めているようでもある
「でも、実は生と死は矛盾しないのだと気付く時がくる。死んだ時だよ。人は死んだ後になってはじめて自らの人生の意味を知ることになるんだ」
 サエキ氏は再び海に目を遣る。

 僕はサエキ氏に向かって尋ねてみる。
「明子にも同じことを語ったんですね?」
 だがサエキ氏は何も応えない。手すりにもたれて海に視線を投げているだけだ。
 さっきまでの霧雨はぴたりと止み、沖の空は明るくなり、青空さえ広がっている。海面は、まるで海龍王でも飛び出しそうなほどに不気味で美しい。
 その時、僕は覚えのある香りに包まれる。寿福寺のやぐらに立ち込めた線香の香りだ。ふと顔を上げると、さっきまで咲いていなかった紫陽花が色とりどりに咲き誇っているではないか! 
 目を凝らせば凝らすほど、青や紫は鮮やかさを増す。驚き呆れるほどの色彩だ。
 あっけにとられていると、今度はバッドで殴られたよう衝撃が走り、眩暈に襲われる。
 歪む風景の中を、おぼろげながらに人の姿が立ち上がる。
 紛れもない、サエキ氏と明子だ。
 二人は紫陽花の中を寄り添いながら歩いている。そうして本堂へと続く石段をゆっくりと登った後で、揃って見晴台に立ち海を眺め、人目を憚らずキスをする。

 こめかみをピストルで撃ち抜かれる。嫉妬という言葉では言い表せぬ感情が全身を駆け巡り、そのうち呼吸すら難しくなる。やはり明子が真に愛していたのは僕ではなかったのだという思いが絶望の谷底にたたき落とす。
 深く愛し合う二人の姿は、悪い運命のように僕の瞳の奥にこびりつく。正視できぬほどの光景は因果応報のしるしなのかもしれない。
 僕は過去に数え切れぬほどの嘘をつき、大切なはずの人を裏切ってきた。これはその報いなのだ。
 憂いの香りのする可南子の首筋がすぐそばに感じられる。

「私は今でもあなたのことをふと思い出すのよ。そしてね、どうしようもなく切なくなるの」
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Author:スリーアローズ
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