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鎌倉物語 70

 眩暈はますますひどくなる。無秩序に叩かれる鉄琴の音が、頭の中でスコールのように響く。
 たまらず僕は、その場にしゃがみ込む。

 すると誰かが肩に手をやって、何度も声を掛けてくる。目を開けると傘を差した老婦人が、心配そうな顔を向けている。
 僕はどうにか膝を伸ばして立ち上がり、大丈夫です、と応える。
 彼女はほっとした表情をにじませ、あそこにベンチがあるから、少し休まれた方がいいですよと見晴台を指して言う・・・

 眩暈が完全に去った後で顔を上げると、境内には霧雨がけむり、紫陽花の幹をうっすらと湿らせている。雨に濡れた枝には葉が茂ってはいるものの、花はついていない。
 池の周りにはすずろ歩きする参拝者たちの姿がある。
 僕は咄嗟に辺りを見回す。しかし明子の姿が見あたらない。僕はまたしまったと思う。
 条件反射的に見晴台を見上げる。だが、そこにもいない。何人かの参拝者たちが海の方を眺めたり写真を撮ったりしているだけだ。
 うずくまっていた間に明子はまたどこかに消えてしまったのだという後悔が一瞬のうちに僕のすべてを暗くする。 

 見晴台に駆け上がると、そこは想像した以上に広く、多くの人がいる。テーブルも何台か出してあり、そこでコーヒーを飲むこともできるようになっているが、今日は雨模様とあって誰も座ってはいない。
 僕はさっきサエキ氏が手を掛けていた手すりまで歩み寄る。そこから振り向いて境内を見渡してみても、明子の姿は見えない。もうだめだろうと思う。彼女は隙を見て一人でここを去り僕の知らない世界へと消えてしまったのだ。
 地鳴りのようなため息をついた時、僕の腰に手が触れる。控えめな感触だ。
 振り向くと、そこにはベージュの帽子をかぶった明子が立っている。動転するあまり最初それが本当に明子かどうかさえ分からなかった。そうして気が付けば人目も気にせずに彼女を抱きしめていた。
「大丈夫?」
 明子は戸惑いながら言う。だが彼女は、意外にも無理に僕から離れようともしない。
「ごめんなさいね、ぼーっとしてて、勝手に先に進んじゃったみたい」

 それから僕たちは見晴台に立って湘南の海を見渡した。西の海岸には逗子の半島が伸びていて、ホテルからも見えた逗子マリーナのリゾートマンションがよりはっきりと窺える。
 視線を右に移せば半島は遠ざかり、水平線がのっぺりと続く。海面にはヨットの帆が幾つか立っていて、その合間を縫って水上バイクが水しぶきの線を引きずっている。霧雨はそれらの風景すべてをぼやかしている。
 僕はというと彼女が隣に立っているということがどうもうまく信じられないでいる。いや、うまく信じられないのは、自分が自分であるということかもしれない。

 そもそも僕は一体誰だろう? 生きているのだろうか、それとも死んでいるのだろうか? 
 僕は僕ではなく、もしかしたらサエキ氏なのかもしれない?
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スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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