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鎌倉物語 76

 目を閉じた途端、この二日間のさまざまな記憶がまぶたの裏側に甦ってきて、かえって頭が冴える。サエキ氏や山本氏が近くでささやきかけてもくる。この新幹線のどの乗客よりも強い生命感をもって。
 僕はいったん目を開けて、鼻から息を吸い込む。
 依然として、窓には雨粒の線が突き刺さっている。
 軽くこめかみを押さえ、再びまぶたを閉じる。
 
 すると今度は明子と二人で訪れた寺々の風景のチャネルに切り替わる。
 建物はもちろん寺に漂う空気さえも再現される。僕たちにとっての鎌倉は、離れた後になってますます印象に訴えかけてくるようだ。

 ふとアイデアが浮かぶ。
 この旅で出会ったものを手帳にしたためておこう。
 僕と明子にとっておそらくは決して忘れることのないであろうこの旅を、今のうちに、できるだけ正確に記録しておこう。

 僕は席を立ち、荷台に置いたリュックサックを下ろす。そうして、サイドポケットに入れていた水色の手帳を取り出す。
 この手帳は僕が勤務する社会保険事務所で年金のキャンペーン用に配られたものの残部だ。捨てるにはもったいなくて何かに使うこともあるだろうとひそかにリュックに忍ばせておいたが、まさかこんな所で役に立とうとは思ってもみなかった。
 さっそく表紙をめくり、最初の行に「北鎌倉駅」と書く。
 その文字を見るだけで、簡素な駅舎が辺りの緑とともに生き生きと思い起こされる。
 円覚寺、鎌倉街道、無窓庵。そこでビーフシチューを食べながら僕は美咲と歩いた京都を思い浮かべ、可南子のことを考えた。
 無窓庵を出てから亀ケ谷坂の切通しを抜けて北鎌倉を後にし、寿福寺の閑散とした山門をくぐった。
 境内の深部には多くのやぐらが集中し、実朝の墓もあった。山本氏という不思議なカメラマンが現れ、寿福寺は中原中也の最期の場所でもあるのだと教えてくれた。
 そこを去ろうとした時、突如として線香の煙が立ち込め、やぐらの中にしゃがみ込む明子の幻影を見た。
 山本氏はシャッターを切りながら、彼女は生きながら死んでいるのだと説明した。そしてその山本氏はすでにこの世にいない人物だと分かったのが今朝のことだった。
 寿福寺を後にした僕たちは鎌倉駅前のマクドナルドで食事をとった。明子は憑き物がとれたかのように饒舌だった。

 ところがホテルへ向かうタクシーの中で彼女は泣いた。
 
 ホテル「NAGISA」、古い絨毯、磯の香り、へんな支配人・・・
 僕たちはラベンダーのキャンドルを点け、月明かりの中で一緒に寝た。ほのかに照らされた明子の寝顔を眺めながら、僕もいつの間にか眠りについた。
 だが、目が覚めた時、彼女はいなかった。テレビの横に残された手紙。サエキ氏への思い。
 僕は着の身着のままで部屋を飛び出した。助けてくれたのはあの支配人だった。
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Author:スリーアローズ
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