fc2ブログ

鎌倉物語 150

 支配人はふっと顔を上げ「お、これは失礼いたしました」と言って立ち上がり、寿司でも握るかのように手際よく雑巾を絞ってバケツにちょん掛けした。それからポケットのハンカチで手を拭きながらフロントに戻った。
「お世話になりました、いろいろと」と僕が言うと、支配人は表情1つ崩さずに「どうも、ありがとうございました」と例の張りのある声で応じた。早朝に地下のガレージからマークⅡを叩き起こし、鶴岡八幡宮まで送ってくれたことを完全に忘れているのではないかと思わせる反応だ。
 すると奥の詰所からさっき料理を運んでくれた女性が出てきた。支配人の奥さんだ。彼女はぶっきらぼうな主人とは対照的な、ほのぼのとした笑顔をこちらに向けている。「また、よろしくお願いしますね」と、どちらかというと明子の方を向いてそう言った。支配人は少しばかり背中を丸めてお金を数えている。僕はさっきから疑問に感じていることをこの際彼に尋ねてみる。
「今日は僕たちの他にお客はいないんですか?」
 すると支配人は視線を紙幣に落としたまま、「ええ、その通りでございます」と答えた。
「土日には古くからのお客様がちらほらお見えになるんですけどね。今日みたいな平日に来られる方はすっかり減ってしまいました」と支配人の横で奥さんが代弁した。話の内容とは裏腹に表情はにこやかだった。
「すてきなホテルなのに」と明子は嘆くように言った。奥さんは心底嬉しそうな表情を浮かべつつ「でも今は、こういう時代ですから」と言った。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR