キラキラ 35
結論から言うと、僕と麻理子が付き合ったのは、大学2年の冬から卒業した年の秋までの、およそ3年間だった。
彼女は大学を出てすぐにアメリカの日本人学校の教師になるためのテストを受け、軽々と合格した。そうして向こうの新学期が始まる秋に合わせて、オレゴン州に渡ってしまった。最初の頃はお互いに連絡し合っていたが、そのうち自然に消滅してしまった。
「この時代、日本とアメリカなんて、連絡を取ろうと思えばいつでもつながるわよ」と言い放っていた麻理子だったが、時差の問題もあったし、実際に経験してみると、距離の隔たりは精神的な隔たりにも直結していた。今思えば、渡米を決めた時点で、麻理子にはずっと僕と付き合おうという覚悟はなかったのだ。
だが、そのことが僕にとって100%つらかったかというと、そうでもなかった。もちろん、僕は麻理子を愛していた。彼女がアメリカに渡ってしまう前までは、漠然とではあるが、この女性と結婚するのだろうと思っていた。
しかし、気がつけば、僕には麻理子の他に好きな女性ができていた。その思いはいつしか自分でもどうすることのできないくらいに膨れあがり、僕をそれまで経験したことのないところにまで運んで行ってしまった。もしその恋に落ちていなかったら、おそらく麻理子は日本に残ったのではないかと思う。
僕が恋したのは、幸恵(ゆきえ)という人だった。僕が21歳の時、その人は40歳だった。
幸恵と出会ってからというもの、麻理子との関係は、チェーンの外れた自転車のように、どこかぎこちなくなっていった。ひょっとして麻理子の「女の勘」が知らせたのかもしれない。あるいは僕の態度の中に異変を感じたのかもしれない。いずれにせよ、真理子が渡米を考えるようになったのは、僕の恋心があるレベルを超えてしまって、自分でもどうすればいいのか分からなくなった時とほぼ一致している。
結局、麻理子は、僕を追い詰めたり僕がつらくなるようなことを何ひとつ言わずに去っていった。彼女は最後の最後まで、理想的な女性であり続けた。
彼女は大学を出てすぐにアメリカの日本人学校の教師になるためのテストを受け、軽々と合格した。そうして向こうの新学期が始まる秋に合わせて、オレゴン州に渡ってしまった。最初の頃はお互いに連絡し合っていたが、そのうち自然に消滅してしまった。
「この時代、日本とアメリカなんて、連絡を取ろうと思えばいつでもつながるわよ」と言い放っていた麻理子だったが、時差の問題もあったし、実際に経験してみると、距離の隔たりは精神的な隔たりにも直結していた。今思えば、渡米を決めた時点で、麻理子にはずっと僕と付き合おうという覚悟はなかったのだ。
だが、そのことが僕にとって100%つらかったかというと、そうでもなかった。もちろん、僕は麻理子を愛していた。彼女がアメリカに渡ってしまう前までは、漠然とではあるが、この女性と結婚するのだろうと思っていた。
しかし、気がつけば、僕には麻理子の他に好きな女性ができていた。その思いはいつしか自分でもどうすることのできないくらいに膨れあがり、僕をそれまで経験したことのないところにまで運んで行ってしまった。もしその恋に落ちていなかったら、おそらく麻理子は日本に残ったのではないかと思う。
僕が恋したのは、幸恵(ゆきえ)という人だった。僕が21歳の時、その人は40歳だった。
幸恵と出会ってからというもの、麻理子との関係は、チェーンの外れた自転車のように、どこかぎこちなくなっていった。ひょっとして麻理子の「女の勘」が知らせたのかもしれない。あるいは僕の態度の中に異変を感じたのかもしれない。いずれにせよ、真理子が渡米を考えるようになったのは、僕の恋心があるレベルを超えてしまって、自分でもどうすればいいのか分からなくなった時とほぼ一致している。
結局、麻理子は、僕を追い詰めたり僕がつらくなるようなことを何ひとつ言わずに去っていった。彼女は最後の最後まで、理想的な女性であり続けた。
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