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鎌倉物語 72

 建物の内部は薄暗いが、観音像の金色だけは外に漏れている。足を踏み入れると本尊は静かに鎮座している。僕はその大きさに言葉を失う。
 明子も「わぁー」と綿飴のように繊細な声を上げる。十一面観音は右手に杖を、左手には花を挿した瓶を持っている。鎌倉大仏の生真面目さとは対照的だ。
 その慈悲深い表情にさらされた時、ふわりと宙に浮いたような感覚にとらわれる。そして明子をこれからも愛し続けるパワーをもらったような気がする。
 僕たちがここに来たのは偶然なんかじゃない。ここに運ばれてきたのだ。僕はもっと自信をもってもいいのではなかろうか。
「大丈夫?」
 明子は僕の顔を覗き込む。僕はもちろん大丈夫だと応える。十一面観音は鈍い金色の光を発し続けている。

 本尊に礼拝した後、長谷寺の境内をひととおり見て回り、再び見晴台に戻ってきた。相変わらず空はけだるい様子で、海も空に倣うかのように、同じ表情を浮かべている。
「ねえ」
 明子は由比ヶ浜を見ながら言う。
「話は戻るんだけどね、よくよく考えたら、北条政子ってすごい女性だと思わない?」
 僕は彼女の横顔に視線を遣る。彼女は政子の人生に自らを重ね合わせていることはすぐに分かる。夫の頼朝に続いて息子の実朝までも殺された悲しみに共感しているのだ。
「政子は尼将軍《あましょうぐん》って言われてたのよね」
 明子はそう続けた。
 政子が落飾《らくしょく》したのは頼朝の死後だった。そうしてダミーの将軍を立てながら、自らは執権として政治の実権を握り、幕府の安定を図ったのだと。
「なんだか不可解ね」
 明子はそう言い、帽子のつばを少しだけ傾けた。
「出家して仏門に入った女性が政治の世界に入るなんて、矛盾してない?」
「僧侶になった人間は俗世を絶つことが原則だって言うこと?」
「そう」 
 それについて考えてみる。たしかに僧侶が政治の実権を握るなど、今でも考えにくい。
「彼女も生きながら死んでいたんじゃないかしら」
 ふと明子の方を見る。彼女も僕の方を向く。
「いや、むしろその逆だと思う」
 僕は言う。
「きっと北条政子は、死を覚悟しながら、その分力強く生きてたんだよ」
 すると明子は、僕の顔から目を離して海の方に視線を送る。海面には数艘のヨットと、上空にはカモメがふらふらと漂っている。
 彼女はしばらく何かを考えた後で、ふっと鼻で笑う。
 明子の心に何が浮かんだのか、僕には想像できない。
 だが、僕は動じない。それより、自分の言いたいことを言ったという満足がある。
 返し技で一本取ったような満足だ。

鎌倉物語 71

 そんな自意識の堂々巡りを繰り返しているうちに、ある不思議な感覚が遠心分離されて心に残る。

 僕たち二人だけがこの風景から完全に切り取られている。
 
 ふと明子に目を遣る。彼女は何かを考えながら海を眺めている。サエキ氏との想い出に浸っているのだ。
 過去に二人はまさにこの場所に立ち、一緒に海を眺めた。その時の幸せに満ちた甘美な時間を明子は今追憶している。だが明子が何を考えていようとも、僕は動じない。
 人を愛するということは、たぶん、こういうことなのだ。

「ねえ」
 明子が口を開いたのはずいぶん経ってからのことだった。
「さっきの静御前《しずかごぜん》の話だけどね、彼女と義経の間に生まれた子供は、この海に捨てられたのよ」
 相変わらず彼女は穏やかな表情をしている。
「頼朝の命令だったの。もし女の子だったら助かっていたようだけど、あいにく、男の子だったの」
「義経の魂を引き継いで、リベンジしてくると思ったんだな」
 僕はそう言った後、大きく息を吸った。空気はどことなく生ぬるい。

 この海は学生時代に友達と訪ねたペナレスの風景とどこか重なるところがある。
 ガンジス河の畔には死体が焼かれる炎と臭いがすべての風景に染みついていて、灰はボランティアたちの持つスコップによって川に流される。川で沐浴をしている人々はその水を全身に浴び、中には口に含む人さえいた。
 そこには生と死の明確な区切りはなく、照りつける太陽の下、泥色の水が静かに人々を包括するだけだった。
 あの光景がこの由比ヶ浜と重なるのは、明子が義経の子供の話をしたからだ。そういえば、この近くで太宰治が入水自殺を試みたとも話していた。

 この海も、生と死が渾然一体となっているのだ。

 その明子はというと、目の前の空間をただ眺めている。そこには彼女にしか見えないスクリーンがあって、サエキ氏の幻影が映し出されている。時折彼女は微笑み、かと思えば絶望の色をにじませる。
 僕は、彼女の隣で何の執着もなく海面に浮かぶヨットたちに視線を送る・・・

「鎌倉って、ほんとうに何とも言えない場所ね」
 境内に向かって歩きながら明子は漏らす。その瞳はぼやけている。
 歩き出した時、僕たちだけ風景から切り取られたような感覚が復活してくる。

 すると、目の前には観音堂が現れる。この建物は長谷寺の本殿で、内部には十一面観音菩薩立像が安置してあるとパンフレットに記されている。外観はまるで竜宮城のようにも見える。
「京都の高台寺を思い出すなあ」
 明子は本堂に近づきながらそうつぶやく。
「高台寺って、秀吉の愛人だったねねが、彼を弔うために建てた寺なの。この長谷寺も、あの寺に似た雰囲気よね。昨日の円覚寺とは全然違う」
 明子は物憂げな視線で観音堂を見上げた。

鎌倉物語 70

 眩暈はますますひどくなる。無秩序に叩かれる鉄琴の音が、頭の中でスコールのように響く。
 たまらず僕は、その場にしゃがみ込む。

 すると誰かが肩に手をやって、何度も声を掛けてくる。目を開けると傘を差した老婦人が、心配そうな顔を向けている。
 僕はどうにか膝を伸ばして立ち上がり、大丈夫です、と応える。
 彼女はほっとした表情をにじませ、あそこにベンチがあるから、少し休まれた方がいいですよと見晴台を指して言う・・・

 眩暈が完全に去った後で顔を上げると、境内には霧雨がけむり、紫陽花の幹をうっすらと湿らせている。雨に濡れた枝には葉が茂ってはいるものの、花はついていない。
 池の周りにはすずろ歩きする参拝者たちの姿がある。
 僕は咄嗟に辺りを見回す。しかし明子の姿が見あたらない。僕はまたしまったと思う。
 条件反射的に見晴台を見上げる。だが、そこにもいない。何人かの参拝者たちが海の方を眺めたり写真を撮ったりしているだけだ。
 うずくまっていた間に明子はまたどこかに消えてしまったのだという後悔が一瞬のうちに僕のすべてを暗くする。 

 見晴台に駆け上がると、そこは想像した以上に広く、多くの人がいる。テーブルも何台か出してあり、そこでコーヒーを飲むこともできるようになっているが、今日は雨模様とあって誰も座ってはいない。
 僕はさっきサエキ氏が手を掛けていた手すりまで歩み寄る。そこから振り向いて境内を見渡してみても、明子の姿は見えない。もうだめだろうと思う。彼女は隙を見て一人でここを去り僕の知らない世界へと消えてしまったのだ。
 地鳴りのようなため息をついた時、僕の腰に手が触れる。控えめな感触だ。
 振り向くと、そこにはベージュの帽子をかぶった明子が立っている。動転するあまり最初それが本当に明子かどうかさえ分からなかった。そうして気が付けば人目も気にせずに彼女を抱きしめていた。
「大丈夫?」
 明子は戸惑いながら言う。だが彼女は、意外にも無理に僕から離れようともしない。
「ごめんなさいね、ぼーっとしてて、勝手に先に進んじゃったみたい」

 それから僕たちは見晴台に立って湘南の海を見渡した。西の海岸には逗子の半島が伸びていて、ホテルからも見えた逗子マリーナのリゾートマンションがよりはっきりと窺える。
 視線を右に移せば半島は遠ざかり、水平線がのっぺりと続く。海面にはヨットの帆が幾つか立っていて、その合間を縫って水上バイクが水しぶきの線を引きずっている。霧雨はそれらの風景すべてをぼやかしている。
 僕はというと彼女が隣に立っているということがどうもうまく信じられないでいる。いや、うまく信じられないのは、自分が自分であるということかもしれない。

 そもそも僕は一体誰だろう? 生きているのだろうか、それとも死んでいるのだろうか? 
 僕は僕ではなく、もしかしたらサエキ氏なのかもしれない?

鎌倉物語 69

 この長谷寺は山を切り開いた場所に建てられているために、主要な伽藍は山門よりも高いところに並んでいるようだ。
「なつかしいなあ」
 明子は澄んだ声を上げた。
「ここのお寺はね、梅雨の時期になると紫陽花でいっぱいになるのよ」
 山門を抜けたところには美しい池が仲良く二つ並んでいて、彼女の言うとおり紫陽花の株が通路いっぱいに広がっている。
 僕はサエキ氏と明子が寄り添いながら満開の紫陽花の中を歩く姿を、恐る恐る思い浮かべる。
「そんなに深刻になるなよ」
 乾いた声が高台から聞こえる。サエキ氏は由比ヶ浜に面して作られた見晴台に立っている。
「あれこれ考えたって仕方ないんだ。人はどうせ皆死ぬ」
 サエキ氏は茶色がかった前髪をかき上げる。肩には白いセーターを引っかけている。
「たとえば千年っていう時間軸で考えてみなよ。そうすれば今現在の立ち位置というものが見えてくるから。人生はつかの間の灯さ。永遠に続く時間の中で、人は極めて限られた瞬間を生かされている。ここに大きな矛盾がある」
 彼は初めて僕の方を見る。その瞳は何かを諦めているようでもある
「でも、実は生と死は矛盾しないのだと気付く時がくる。死んだ時だよ。人は死んだ後になってはじめて自らの人生の意味を知ることになるんだ」
 サエキ氏は再び海に目を遣る。

 僕はサエキ氏に向かって尋ねてみる。
「明子にも同じことを語ったんですね?」
 だがサエキ氏は何も応えない。手すりにもたれて海に視線を投げているだけだ。
 さっきまでの霧雨はぴたりと止み、沖の空は明るくなり、青空さえ広がっている。海面は、まるで海龍王でも飛び出しそうなほどに不気味で美しい。
 その時、僕は覚えのある香りに包まれる。寿福寺のやぐらに立ち込めた線香の香りだ。ふと顔を上げると、さっきまで咲いていなかった紫陽花が色とりどりに咲き誇っているではないか! 
 目を凝らせば凝らすほど、青や紫は鮮やかさを増す。驚き呆れるほどの色彩だ。
 あっけにとられていると、今度はバッドで殴られたよう衝撃が走り、眩暈に襲われる。
 歪む風景の中を、おぼろげながらに人の姿が立ち上がる。
 紛れもない、サエキ氏と明子だ。
 二人は紫陽花の中を寄り添いながら歩いている。そうして本堂へと続く石段をゆっくりと登った後で、揃って見晴台に立ち海を眺め、人目を憚らずキスをする。

 こめかみをピストルで撃ち抜かれる。嫉妬という言葉では言い表せぬ感情が全身を駆け巡り、そのうち呼吸すら難しくなる。やはり明子が真に愛していたのは僕ではなかったのだという思いが絶望の谷底にたたき落とす。
 深く愛し合う二人の姿は、悪い運命のように僕の瞳の奥にこびりつく。正視できぬほどの光景は因果応報のしるしなのかもしれない。
 僕は過去に数え切れぬほどの嘘をつき、大切なはずの人を裏切ってきた。これはその報いなのだ。
 憂いの香りのする可南子の首筋がすぐそばに感じられる。

「私は今でもあなたのことをふと思い出すのよ。そしてね、どうしようもなく切なくなるの」

鎌倉物語 68

 高徳院の参道を南に下ると「長谷観音前」の交差点が現れる。
 それを右に折れた所には老舗風の旅館や和風料理店、オルゴール館などが道の両側にずらりと軒を連ねていて、その突き当たりに長谷寺の山門が姿を見せる。
 背後は山に囲まれていて円覚寺を思い起こしもするが、そもそもこの海辺にはあのような深い木々はないし、あの寺の山門ほどは威光を放ってもいない。かといって寿福寺の山門ほど素っ気なくもない。さながら雷門の縮小版のようでもある。

「こうやっていろんな寺を巡ってみると、やっぱり門はその寺をよく表してるってことが分かる気がするよ」
 僕がそう言うと、明子は穏やかな視線で門を仰ぎながら、微笑んだ。
「それにしても円覚寺に行ったのが昨日のことだなんて信じられないわね」 
 僕も全く同感だった。

 この三年間ある意味均衡を保ち続けてきた僕たちの関係は、今回の旅を機に、どこかに向かって動き出そうとしている。
その「どこか」とは二つしかない。
 一つは僕と明子はこれからずっと一緒に暮らすという道、もう一つは、明子が僕の元を離れるという道だ。
 憂慮すべきは、可能性としては後者の方がはるかに高いということだ。
 もし本当に離別の道をたどった場合、僕はこれまでの自分でいられるかどうか確信が持てない。というのも、鎌倉に来てからというもの、以前にも増して、切ないほどの恋心を抱くようになっているのだ。
 はたしてこれまでの人生の中で、こんなにも息が詰まるくらいに人を好きになったことがあっただろうか? 
 
 ふと可南子のことを思う。あの時たしかに僕は可南子を愛していた。そうして彼女も僕を愛してくれていた。可南子は一見弱そうで実は芯の強い女性だった。しかし芯の強い女性というのはどこかで脆さを抱え込んでいるものだ。
 僕はまさに彼女のそういう部分が好きだった。
 だのに僕は大学を卒業してすぐに美咲に恋に落ちてしまった。地滑りのような恋だった。そのことでどれほど可南子を傷つけてしまったろう。

 今思えば、明子は可南子とどこか似たところがある。しかし明子の抱えている闇は可南子の脆さとは異質のものだ。 
 その深さは計り知れないし、何より彼女が僕をどう評価しているかのかがまるで見えない。

 とはいえ、今回鎌倉に来て、僕たちの距離が縮まったのは確かだ。
 明子を理解するということは彼女の抱え込んできたたまらなさを理解することと同じだ。そうしてそのたまらなさの世界に入り込んでいくことで、僕は彼女をより強く愛するようになった。愛とは安定や均衡の中にあるのではなく、むしろ哀しみとか無力感とかと近いところにあることも、この二日間で明子から学んだ。
 それゆえ、旅の終わりに、この長谷寺でサエキ氏との想い出に浸ろうとしている明子に対して、胸が焦がれるくらいのやるせなさを覚え、狂おしいほどに彼女を求めているのだ!

「このお寺の観音様は、ほんとうに大きいのよ」
 僕の心にまるで気付いていない明子はそう言い、本堂の方を振り仰いだ。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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