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鎌倉物語 74

長谷駅から江ノ電に乗り、再び鎌倉駅に戻ってきた時には、雨は本降りになっていた。
 僕たちは、反対側のJRのホームにちょうど待機していた横須賀線に乗った。
「鎌倉」と書かれた標示板が、発車と同時にゆっくりと後ろに流れて行くさまを、僕は最後まで見届けた・・・ 

 北鎌倉駅に停車した時には円覚寺の森が雨に濡らされているのが見えた。ここを訪れたのはずいぶんと前のことのように感じられる。
 青空の下、明子と二人で石段を上がったのは昨日のことだ。その光景を思い出すと、まるで映画のエンディングを見ているときのような、ノスタルジーに襲われ、胸が締め付けられた。

 新横浜駅に着くと、行き交う人の数が格段に増えた。
 平日ということもあってスーツを着たサラリーマンたちが黒い渦のようにせめぎ合っている。
 僕たちは人混みを避けながら、どうにか「みどりの窓口」にたどり着き、新山口駅行きの切符を手にした。
 ホームへと上る長いエスカレーターに運ばれながら、僕たちは顔を見合わせてため息をついた。
 おそらく僕たちは、夢から醒めたような感覚を共有していたのだ。

 夢・・・

 エスカレーターが真ん中まで来たとき、天と地がひっくり返ったような錯覚を感じた。目の前に繰り広げられる生々しい現実こそが、幻のように思えてきた。
 僕たちは本当に、さっきまで夢の中にいたのかもしれない。

 ホームに置いてある自動販売機で緑茶を買い、時間通りに滑り込んできた「のぞみ」に乗り込む。
 指定席はほぼ満席で、明子を窓際のシートに乗せた後、僕は通路側に腰を下ろした。車内は空調が効いているものの、どことなく湿っぽい。
 新幹線が動き出す前から僕たちは手をつないだ。長谷寺から続く胸のぬくもりは依然としてある。目の前の情景が幻であろうが何であろうが、このぬくもりだけは消えやしない。
 明子の方を向くと、彼女も僕を見た。彼女は疲れた笑みを浮かべている。
 
 のぞみは静かに加速し始める。それに伴って新横浜駅周辺のビル群がドミノのようにぱたぱたと後ろに倒れてゆく。
 分厚い窓ガラスには雨粒が頬を伝う涙のように転がり、やがて弾き飛ばされる。

 僕はシートをいくぶんかリクライニングさせ、車内の様子を確かめる。

 指定席の乗客はおしなべて静かだ。
 新聞を読んだりスマートフォンを指でなぞったり、思い思いの時間を潰している。車両入口のドアの上では電光掲示板がさっそくニュースを流し始める。飲酒運転で爆走した車が通行人を次々とはねたり、北朝鮮がミサイル実験をしたり、どこかの銀行が破綻して大騒ぎになっているようだ。

 それにしても、僕の周りにいるのは誰だろう? 彼らは僕と同じ新幹線に今乗っている。少なくとも、それほどの縁がある。ならば僕たちはこのハイテクマシンで一体どこに行こうとしているのか?

「人生はつかの間の灯さ」
 サエキ氏の声が脳裏にささやかれる。

鎌倉物語 73

 観音堂の左には、何やらマニアックな通路が続いている。
 そこから先は、参詣者の数も急に少なくなる。奥に群がる竹林の脇には萩の花がちらほらと顔を覗かせているのが見える。
 明子は慣れた足取りでその道を進み、「経蔵」と記された小さな建物の裏手に入る。この区域は墓地になっていて、途端にひっそりとする。
 さらにその奥には石段が現れ、両側は紫陽花の株で覆い尽くされている。株たちは来年の開花の時期までじっとここで息を潜めているかのようにも見える。

 石段を登り切ったところには猫の額ほどの展望スペースが用意してあって、見晴台よりもさらに高い地点から由比ヶ浜を見渡すことができるようになっている。ここまで来ると、もはや人の気配はない。だからか、さっきまでは気づかなかった潮の香りが鼻の奥にまで入ってくる。

 足下にはどういうわけか多くの地蔵が置いてある。しかも、大きさや苔の生え具合によって、きれいに整理整頓してあるようだ。
 そういえば、寿福寺の裏山にも地蔵が並んでいたことをふと思い出す。
 明子はその場所の真ん中で僕の胸に顔をうずめてきた。
 僕も彼女の頭を撫でながら明子の体を自分の胸にあてがった。彼女のぬくもりが押し寄せる波のように体に浸透する。僕たちだけ風景から切り取られたような感覚をより明確に感じ取る。
 見渡すと、グレイな海面の至る所に、波飛沫が上がっているのがよく見える。
その時だった。僕は、デジャブの感覚に襲われた。
 いや、これはデジャブではない。僕の脳裏に忍び込んできたのは、他でもない、源実朝の和歌だった。

大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも
 
われてくだけて裂けて散るかも・・・

 実朝の言葉が僕の胸に何かを語りかけてこようとしたまさにその瞬間、明子が僕の胸から顔を離し、キスを求めてきた。
 僕は半ば慌てて彼女の動きに呼応した。
これが本当に明子なのかと疑うほどに積極的だった・・・

 下の方で何やら人の声がする時まで、僕たちはずっと強く抱き合い、キスをした。
 体を離した時、明子は足元を見ながら言った。
「こんなたくさんのお地蔵さんに見つめられてたなんて、気付かなかった」
「僕はずっと知ってたけどね」
 そう返すと、彼女はどこか恥ずかしそうに笑った。
 これこそ明子本来の表情だと僕は思った。
 
 ふと海を眺めると、実朝の魂がそこにゆっくり溶けていくのが分かった。
 
 いや、それは、山本耕二氏の魂かもしれなかった。

鎌倉物語 72

 建物の内部は薄暗いが、観音像の金色だけは外に漏れている。足を踏み入れると本尊は静かに鎮座している。僕はその大きさに言葉を失う。
 明子も「わぁー」と綿飴のように繊細な声を上げる。十一面観音は右手に杖を、左手には花を挿した瓶を持っている。鎌倉大仏の生真面目さとは対照的だ。
 その慈悲深い表情にさらされた時、ふわりと宙に浮いたような感覚にとらわれる。そして明子をこれからも愛し続けるパワーをもらったような気がする。
 僕たちがここに来たのは偶然なんかじゃない。ここに運ばれてきたのだ。僕はもっと自信をもってもいいのではなかろうか。
「大丈夫?」
 明子は僕の顔を覗き込む。僕はもちろん大丈夫だと応える。十一面観音は鈍い金色の光を発し続けている。

 本尊に礼拝した後、長谷寺の境内をひととおり見て回り、再び見晴台に戻ってきた。相変わらず空はけだるい様子で、海も空に倣うかのように、同じ表情を浮かべている。
「ねえ」
 明子は由比ヶ浜を見ながら言う。
「話は戻るんだけどね、よくよく考えたら、北条政子ってすごい女性だと思わない?」
 僕は彼女の横顔に視線を遣る。彼女は政子の人生に自らを重ね合わせていることはすぐに分かる。夫の頼朝に続いて息子の実朝までも殺された悲しみに共感しているのだ。
「政子は尼将軍《あましょうぐん》って言われてたのよね」
 明子はそう続けた。
 政子が落飾《らくしょく》したのは頼朝の死後だった。そうしてダミーの将軍を立てながら、自らは執権として政治の実権を握り、幕府の安定を図ったのだと。
「なんだか不可解ね」
 明子はそう言い、帽子のつばを少しだけ傾けた。
「出家して仏門に入った女性が政治の世界に入るなんて、矛盾してない?」
「僧侶になった人間は俗世を絶つことが原則だって言うこと?」
「そう」 
 それについて考えてみる。たしかに僧侶が政治の実権を握るなど、今でも考えにくい。
「彼女も生きながら死んでいたんじゃないかしら」
 ふと明子の方を見る。彼女も僕の方を向く。
「いや、むしろその逆だと思う」
 僕は言う。
「きっと北条政子は、死を覚悟しながら、その分力強く生きてたんだよ」
 すると明子は、僕の顔から目を離して海の方に視線を送る。海面には数艘のヨットと、上空にはカモメがふらふらと漂っている。
 彼女はしばらく何かを考えた後で、ふっと鼻で笑う。
 明子の心に何が浮かんだのか、僕には想像できない。
 だが、僕は動じない。それより、自分の言いたいことを言ったという満足がある。
 返し技で一本取ったような満足だ。

鎌倉物語 71

 そんな自意識の堂々巡りを繰り返しているうちに、ある不思議な感覚が遠心分離されて心に残る。

 僕たち二人だけがこの風景から完全に切り取られている。
 
 ふと明子に目を遣る。彼女は何かを考えながら海を眺めている。サエキ氏との想い出に浸っているのだ。
 過去に二人はまさにこの場所に立ち、一緒に海を眺めた。その時の幸せに満ちた甘美な時間を明子は今追憶している。だが明子が何を考えていようとも、僕は動じない。
 人を愛するということは、たぶん、こういうことなのだ。

「ねえ」
 明子が口を開いたのはずいぶん経ってからのことだった。
「さっきの静御前《しずかごぜん》の話だけどね、彼女と義経の間に生まれた子供は、この海に捨てられたのよ」
 相変わらず彼女は穏やかな表情をしている。
「頼朝の命令だったの。もし女の子だったら助かっていたようだけど、あいにく、男の子だったの」
「義経の魂を引き継いで、リベンジしてくると思ったんだな」
 僕はそう言った後、大きく息を吸った。空気はどことなく生ぬるい。

 この海は学生時代に友達と訪ねたペナレスの風景とどこか重なるところがある。
 ガンジス河の畔には死体が焼かれる炎と臭いがすべての風景に染みついていて、灰はボランティアたちの持つスコップによって川に流される。川で沐浴をしている人々はその水を全身に浴び、中には口に含む人さえいた。
 そこには生と死の明確な区切りはなく、照りつける太陽の下、泥色の水が静かに人々を包括するだけだった。
 あの光景がこの由比ヶ浜と重なるのは、明子が義経の子供の話をしたからだ。そういえば、この近くで太宰治が入水自殺を試みたとも話していた。

 この海も、生と死が渾然一体となっているのだ。

 その明子はというと、目の前の空間をただ眺めている。そこには彼女にしか見えないスクリーンがあって、サエキ氏の幻影が映し出されている。時折彼女は微笑み、かと思えば絶望の色をにじませる。
 僕は、彼女の隣で何の執着もなく海面に浮かぶヨットたちに視線を送る・・・

「鎌倉って、ほんとうに何とも言えない場所ね」
 境内に向かって歩きながら明子は漏らす。その瞳はぼやけている。
 歩き出した時、僕たちだけ風景から切り取られたような感覚が復活してくる。

 すると、目の前には観音堂が現れる。この建物は長谷寺の本殿で、内部には十一面観音菩薩立像が安置してあるとパンフレットに記されている。外観はまるで竜宮城のようにも見える。
「京都の高台寺を思い出すなあ」
 明子は本堂に近づきながらそうつぶやく。
「高台寺って、秀吉の愛人だったねねが、彼を弔うために建てた寺なの。この長谷寺も、あの寺に似た雰囲気よね。昨日の円覚寺とは全然違う」
 明子は物憂げな視線で観音堂を見上げた。

鎌倉物語 70

 眩暈はますますひどくなる。無秩序に叩かれる鉄琴の音が、頭の中でスコールのように響く。
 たまらず僕は、その場にしゃがみ込む。

 すると誰かが肩に手をやって、何度も声を掛けてくる。目を開けると傘を差した老婦人が、心配そうな顔を向けている。
 僕はどうにか膝を伸ばして立ち上がり、大丈夫です、と応える。
 彼女はほっとした表情をにじませ、あそこにベンチがあるから、少し休まれた方がいいですよと見晴台を指して言う・・・

 眩暈が完全に去った後で顔を上げると、境内には霧雨がけむり、紫陽花の幹をうっすらと湿らせている。雨に濡れた枝には葉が茂ってはいるものの、花はついていない。
 池の周りにはすずろ歩きする参拝者たちの姿がある。
 僕は咄嗟に辺りを見回す。しかし明子の姿が見あたらない。僕はまたしまったと思う。
 条件反射的に見晴台を見上げる。だが、そこにもいない。何人かの参拝者たちが海の方を眺めたり写真を撮ったりしているだけだ。
 うずくまっていた間に明子はまたどこかに消えてしまったのだという後悔が一瞬のうちに僕のすべてを暗くする。 

 見晴台に駆け上がると、そこは想像した以上に広く、多くの人がいる。テーブルも何台か出してあり、そこでコーヒーを飲むこともできるようになっているが、今日は雨模様とあって誰も座ってはいない。
 僕はさっきサエキ氏が手を掛けていた手すりまで歩み寄る。そこから振り向いて境内を見渡してみても、明子の姿は見えない。もうだめだろうと思う。彼女は隙を見て一人でここを去り僕の知らない世界へと消えてしまったのだ。
 地鳴りのようなため息をついた時、僕の腰に手が触れる。控えめな感触だ。
 振り向くと、そこにはベージュの帽子をかぶった明子が立っている。動転するあまり最初それが本当に明子かどうかさえ分からなかった。そうして気が付けば人目も気にせずに彼女を抱きしめていた。
「大丈夫?」
 明子は戸惑いながら言う。だが彼女は、意外にも無理に僕から離れようともしない。
「ごめんなさいね、ぼーっとしてて、勝手に先に進んじゃったみたい」

 それから僕たちは見晴台に立って湘南の海を見渡した。西の海岸には逗子の半島が伸びていて、ホテルからも見えた逗子マリーナのリゾートマンションがよりはっきりと窺える。
 視線を右に移せば半島は遠ざかり、水平線がのっぺりと続く。海面にはヨットの帆が幾つか立っていて、その合間を縫って水上バイクが水しぶきの線を引きずっている。霧雨はそれらの風景すべてをぼやかしている。
 僕はというと彼女が隣に立っているということがどうもうまく信じられないでいる。いや、うまく信じられないのは、自分が自分であるということかもしれない。

 そもそも僕は一体誰だろう? 生きているのだろうか、それとも死んでいるのだろうか? 
 僕は僕ではなく、もしかしたらサエキ氏なのかもしれない?
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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